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发表于 2015-11-8 00:01
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本帖最后由 0168 于 2015-11-8 06:44 编辑
关于零战(日军海军机)的机体涂色
1.九七艦攻の迷彩が真珠湾攻撃時に実施されているのは御存知の通りですが、真珠湾では鼠色の九九艦爆はインド洋作戦時には既に迷彩が導入されていた様子です。工場完成時に迷彩が施され始めたのは恐らく17年春頃からだと考えられます。
零戦の場合は18年3月頃の工場完成機(製造番号は三菱3500番台後半あたりでしょうか)から迷彩が導入されているようですが、現地での塗り替え、または斑迷彩はそれより早く17年末頃には実施され始めていたように思います。現地で塗り上げた迷彩零戦は風防枠の下辺までを塗装し枠の上方は塗り残している機体が多く見られます。
=>零战的绿色涂饰是1943年3月的工厂生产机以后正式采用了.
基地航空队独自的绿色涂饰或虎式迷彩是1942年以后开始的.
2.零戦隊で最初に迷彩を導入したのはラバウル・ソロモン方面の基地航空隊です。これは現地塗装です。このときには濃緑色系の色ではなく、淡緑色を(も)使っていた可能性があります。(渡部利久氏の聞き取り調査による)淡緑色の色調については学研「零式艦上戦闘機2」所載のカラーチップの写真を参考にして下さい。
基地航空隊でも南西方面の二〇二空などは18年に入ってもまだ迷彩塗装をしておらず、南東方面への派遣機以外は現地での迷彩は行っていないようです。
艦隊の零戦は18年3月までは灰色です。い号作戦前に迷彩塗装をしてラバウルに出かけていっています。ただしベタの迷彩ではなく、まだらや格子縞模様です。
生産工場での零戦への迷彩塗装導入が確認できるのは、三菱、中島ともに18年2~3月頃の完成機からです。(従来18年6~7月からと言われていたのよりもかなり早いことが写真を調べていて分かりました)
したがってい号作戦後の空母機はこれ以降の新造機を受領しているはずですから、「緑色」(いわゆる濃緑色とか暗緑色と言われている色)になっているはずです。ところで、この時期以降零戦の全機が迷彩されたわけではなく、実は終戦に至るまでかなりの数の灰色単色塗装のままの機体が残っています。あの厚木の三〇二空でも「ヨD-」の尾翼番号をつけた灰色単色機が見つけられます。
=>最早导入绿色涂色的是Solomon和Rabaulu基地航空队.
在工厂里可以确认的最早期绿色涂饰是1943年2~3月,所以在空母舰上开始使用绿色零战的是
「伊号作战」以后.结论:珍珠港攻击时还不存在绿色零战.
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